YORON ISLAND(与論島)1978

夏の雲、積乱雲(入道雲)の勢いが増してきた。
色々な形をしていて、眺めていて飽きない。

与論島の水平線に浮かぶ入道雲を思い出し、リバーサルフィルムを探し出し、スキャンした。

40年位前の若い頃4ヶ月間ヒマラヤに登山に行き、
日本に帰りボーっとしていた時、

友人のカメラマンに誘われて貨物船にもぐりこみ与論島に渡り、
一ヶ月くらい島で過ごした。

親は私の行方がわからなくなった、と心配していたらしい。

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昼は砂浜の木陰で昼寝。夜はあちらこちら。

そんな中、歯医者の先生に誘われ、

副業で営む昼間は喫茶店、夜はカクテルラウンジの店の二階に居候させてもらい店を手伝った。

(今思えば夜のインチキバーテンダーの私の手伝いは冷や汗物であった。)

店には鹿児島のスイカ売りの親父達、一人旅の男、何人ものOL、モデル、ヤクザ、ジャズグループ、島の人たち。

私が帰る前日、先生が送別会を開いてくれた。

漁師に追い込み漁をしてもらい、獲れた魚で与論の焼酎を飲み、送別会。

 

南の島の伝統の追い込み漁。漁師が網を持ち潜り、魚を追い込む漁法。

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島の漁師たち。赤銅色をした逞しい姿
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与論献奉。
島の飲み方で、「有泉」という島焼酎をコップを地に着けてはいけない回し飲み。
頭は冴えていたが、身体が言うことを聞かなくなって来た。

潮騒が聞こえている。潮が満ちて来た。

「こんな自分のために開いてくれるなんて」と思ったが嬉しかった。

40年過ぎた今、
今日のことも昨日のことも忘れてしまうことがあるが、
昔のことは鮮明に覚えている。

こんなちょっとした昔の出会いだが、自分にとって心の宝物である。

南の島伝統の古代復元船『マーラン』
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ジャズを吹くテナーサックス奏者 T.M.

今も現役である
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島の少年たち。もう50歳を過ぎているであろう。
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元ヤクザ

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チャーターしたセスナ機で那覇空港に連れを迎えに行くが、
「飛行機が恐いので一緒に乗って行ってくれ」と言われた。
貸金業、元ヤクザのO氏。

機中、「伊東君、金に困ったり揉めごとがあったら相談に来い」
と、ありがたい言葉を頂いたが、

幸か不幸か、まだ相談には行っていない。

左頬に大きな切られ傷。

背中と両肩に昇龍と天女の刺青。見事だった。

一晩にブランデーの「REMY MARTIN」を一本空にしていた。

まだ生きているだろうか。いい人だった。
今は懐かしい名前。東亜国内航空。
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