第2回-1 煖をとる人々 アイルランド編「大地の炎が燃える」

写真/飯田裕子(写真家)

アイルランドは、遥か紀元前から度重なる異民族の侵略と支配をうけながら、一度も負けてないと言い切る。

誇り高きアイリッシュの魂は、特異の哀切と幻想世界を内に秘めながら、過去から未来に命を引き継いでいく。

その足の下には、氷河期に埋まった樹木が悠久の眠りを経て、泥炭層としてぶ厚く堆積している。

まさに、大地が火となって燃える。大西洋に取り残された辺境の島の人々は、その火に寄り添って生きてきた。

そこには、原始の火と人の暮らしの関わりを考え直す原点がある。

 

ブリジット婆さんは、暖炉の傍らを離れることがない。九十五歳になる。

アイスランド北西部アルスター州ドニゴール郊外、ダンレイの荒涼とした山間地に取り残されたように石造りの小さな家がある。小さな居間の正面に暖炉がある。あとは花柄のキルトがかかった簡素なベッドと、椅子が二つ。ソファ式の椅子は、一緒に暮らす息子のパトリックが使っている。ブリジット婆さんの椅子は、背当てと片側に肘掛がついたチェアで、杖を頼りにベッドと椅子を四、五歩で移動できる。疲れてベッドで横になる以外は、椅子に座って編み物をする。もう何年もそうしている。夕食には、小さな鍋にミルクと砂糖を入れて暖炉で温め、パンをちぎって入れて食べる。何十年と、その習慣は変わっていない。

暖炉には、泥炭の火が赤々と燃えている。子どもの頭ほどの土塊を赤橙色の炎が包んで踊る。火が柔らかく、暖かい。薪のようにバチバチと爆ぜることもなく、石炭やコークスのように刺すような火でもない。また、石油のような激しさもなく、ガスのように冷たい火でもない。血の脈打つ魂の炎のように、静かに、メラメラと燃えている。

泥炭は、燃やし始めは湿った草や土を燃やすような独特の臭気と、白濁した煙が濛々と上がる。匂いが部屋の隅々によどんでいる。土にまみれて働く母の胸に抱かれる温もりと、汗の匂いを思い起こさせる。どこか懐かしく、心を穏やかにする。

泥炭の匂いと暖かさに包まれながら、急ぐでもなく、手を止めるでもなく、皺を刻んだ指に毛糸を絡め、編み棒で掬っていく。掌の中で、一本の毛糸が連続模様を形作っていく。だが、複雑に絡み合った編み目も、解きほぐせばただの一本の毛糸に返ってしまう。それでも、その昔、絶海のアラン諸島では、家族の安否が知れるように、一人一人編み目を違えてセーターを編んだように、そこには深い心模様が編み込まれている。編物は、人の一生に似ている。人も、抗えない歴史や運命に絡め取られながら、いつかそれを、着古したセーターの毛糸を解きほどいて新しく編み直す日々を夢見て生きていく。

暖炉の火は一日じゅう燃やしている。夏でも火を絶やさない。燃料の泥炭は、息子が掘ってきてくれる。常に、家の外には一年分の泥炭が積んである。ほかの子どもたちも、家の近くに住んでいる。「いまは、それだけで幸せ」、と穏やかな声でつぶやいた。黒いショールに包んだ顔の、小さな目が皺に沈み、真珠の粒のような涙の露が浮かんだ。泥炭の火が家族の強い絆を結びつけている。ブリジット婆さんは最後に、「ボグの火じゃなければ嫌なの」と言った。

泥炭は、アイルランドでは一般にボグと呼ばれる。ターフまたはピートともいう。ボグは、ボガック=柔らかい、あるいは風景、土地という意味もある。ターフも土を表す。まさにアイルランドの風景と大地を象徴している。ちなみにピートはピートモスの略で、ミズゴケなどが堆積してできた泥炭を指し、アイルランドのボグやターフとは性質を異にする。

ボグは、主にオークなどの木が地中で分解されて炭化したものだといわれている。その神秘の来歴は、地球の悠久の時だけが知っている

地球は、太古、いわゆる先カンブリア紀の後期に、北半球の高緯度の地方や山岳地帯を中心に大規模な氷河が発達し、拡大した。一00万年以上も続いた氷河期が、地球の温暖化につれて後期氷河期に移行するのが、およそ一万年前だといわれている。その間にも、氷期と次の氷期の間に比較的温暖な、間氷期が何度も繰り返された。

その、地球の壮大な大変動によって地上の植物や生物が厚い氷の下に封じ込められ、大地の下に堆積し、その後の地圧や地熱によって炭化した地層ができる。石炭期と呼ばれるのは、古生代の三億六七00万年から二億八九00万年前までの時代で、海成層からは紡錘虫類や珊瑚類、腕足類などの化石が産出し、陸成層からは裸子植物の化石が多く産出する。石炭も、石炭油(石油)も、地質時代に植物の遺体が地中に堆積した化石燃料である。

 

石炭層はイギリスに多い。古生代の最初の地質時代を指すカンブリア紀の「カンブリア」は、イギリス、ウェールズの古名からきている

一方、イギリス、ブリテン島と狭いアイリッシュ海を挟むアイルランド島は、太古の時代には比較的気候が温暖で、大森林地帯が広がっていたといわれている。だが、氷河期に入って環境が一変した。地上を緑で覆っていた樹木や植物は氷の下に埋まり、地中に埋没して、長い歳月をかけて土に返っていった。泥炭層は一般にものが腐敗しにくいといわれるなかで、オークなどの固い大木がどのようなかたちで分解され、地中深くまで堆積していったのかは謎である。

長い氷河期が終わり、徐々に気候が温暖化するとともに、人類は小規模の狩猟集団にまとまりながら、動物の群れを追って移動し始める。しだいに集団は大きくなり、やがて一カ所に定住して農耕と牧畜による生産の時代に向かう。六000~七000年前のことだ。

アイルランドでも、五000~六000年前に、すでに農耕を主体とした民族が住んでいた。ヨーロッパでの農耕の起源だといわれる。彼らは荒れた大地に鍬を打ち込んだ。ケルト人が上陸して鉄器文明を持ち込んでくるのは紀元前五00年ころのことで、それまでは石の道具だった。その、文明とは程遠い、原始の人々の道具が、大地の底からボグという燃料を掘り当てることになる。

アイルランドは、首都ダブリンのある東海岸の一帯は比較的地層が厚いが、西にいくにしたがって氷河時代の氷食のせいか、土壌が薄くなっていく。大地に影を映す大きな山も森もほとんどない。沿岸部は岩盤が剥き出しの斜面が、公漠とした大西洋に向かって落ち込んでいて、いたるところに波の浸食による断崖絶壁が点在する。海からは猛烈に冷たい風が吹き上げる。

先史時代の人たちは、薄い表土が風に吹き飛ばされないように石を積み上げて石垣を作り、畑を囲った。アラン諸島などの孤島では、土壌というものがほとんどなく、風が運んできたわずかな土ぼこりを手で掬ってきて岩盤の上に置き、岩を砕いた石塊を積んで石垣を作った。波の荒い海から海藻を拾ってきてひりょうにした。鍬を打つとカチンカチンという音がし、火花が散ったという。人はそれでも、大地に帰属して生きようとする。人はそれでも、定住による安息の夢を捨てることができない。

陸地は、波打つような小丘陵と平野が続いている。アイルランドでは、太鼓を連想して「ドラム」と呼ぶ。地質学の用語でも「ドラムリン」という。アイルランド北西部のドラムリン一帯は、いちめん、緑まぶしい牧草に覆われているかと思うと、大地の無精髭のような枯れ草が生えた、黒い原野が広がっている。巨人が踏み荒らしたように、荒れてデコボコの大地は、冷たい海風に吹き晒され、寂寥感さえ覚えてしまう。だが、その荒涼とした湿地帯がボグの大地。泥炭地帯だった。泥炭地層は牧草地にも広がっている。泥炭層は、アイルランドのほぼ全土に及んでいるといわれる。

牧草は天然のものだ、という。アイルランド島は、フロリダあたりから大西洋を大きく蛇行して流れてくる「ガルフ」と呼ばれる暖流(メキシコ湾流)と、北極海からの寒流がぶつかり合って島の周囲を洗い、気象の変化が激しい。霧が発生し、霧は、雲となって風に流され、しだいに重く垂れ込めながら、やがて重さに耐え切れなくなって雨を大地にぶちまける。重荷を降ろした雲は、綿のように薄く光を透かして空に溶けようとする。その一瞬に、まばゆいばかりに透明感のある太陽の光が注ぎ、色のはっきりした虹を浮かび上がらせる。空気が光を放射しているように輝いて、幻想的なまでに美しい。

だが、薄くなった雲は、また地上の湿った空気を吸い上げて凝結し、重い雲に成長し、また雨を降らす。アイルランドでは、一日に四季があるといわれる。その気象の変化が、一年じゅう、牧草地の緑を濃くしている。しかし、その薄い緑の表皮のすぐ下は、泥炭層が深く堆積している。

先住民たちは、荒れた黒い湿地に石の鍬を打ち込んだ。大きな石や風化した巨木が、繊維質の大地に埋まっていた。掘り進むと、さらに土が黒さを増し、粘土質のように滑らかになってくる。下から水が染み出してくる。掘り出した土を積んで乾かしておいたら、なにかの拍子に火がつき、メラメラとよく燃えた。燃える大地だった。

 

土が火を生む。家族が温かい食事を分かち合い、寄り添って暖をとることができる燃料が、自分たちの足の下に厚く堆積していた。不毛の大地が、無尽蔵に近い燃料資源を貯蔵している豊かな”沃野”に変わった。実際、それから数千年を経た近年まで、森林の少ないアイルランドが燃料に事欠かなかったのは、まさにこの泥炭地層のおかげだった。アイルランドの特異とされる精神風土もまた、ボグによって培われてきたといってもいいかもしれない。

つづく