ネパールの人々の暮らしと火
何度も訪れたネパール高地の人々の生活の火のことを書こうと思う。
ネパールヒマラヤの高地には、大木はなく、主が細い灌木である。
住人はドッコ(竹カゴ)を背負い、一日がかりで急な斜面を登り、薪を集めに行く。
薪は、料理が終わると、貴重なので、かまどから引き出し、火を消す。
あまりに煙すぎて、外に飛び出したこともある。
鉄パイプを火吹き代わりに
バッティー(お茶屋兼食堂)でチャパティを頼んだ時、主の黒い手が、粉をこねていくうちにみるみるキレイになっていくのが見えた。水も貴重である。
ティーを飲むときに、コップのふちに何匹もハエがとまる。それを一緒に飲み込んだこともある。
また、灌木が無いところは、放牧しているヤクの糞を集め、干して燃料にしている。
壁に貼り付けて、干している家もある。
ヤクの糞は、薪に比べ火力が劣り、少しにおいがするが、これも燃料である。
ヤクの乳からバターやチーズを作る。チーズは少し酸っぱく粉っぽいが、うまい。高地の貴重なタンパク源であり、保存食である。
また男たちのために、ヤクの酒を造る。長い木の筒に入れ、棒で何百回も攪拌して造る。
アルコール度数は弱い。
今は、ケロシン(灯油)バーナーが普及しているが、ケロシンは、ポーターが背負い、何日もかけて運ばれてきて、料金も高い。
ポーターの青年。マイケル・ジャクソンのTシャツがイカしている。
テント泊まりで旅をしているときは、シェルパに生きたニワトリと酒を買いに行かせ、首をはねてばらして食べる。皆ご機嫌である。
食べ終わり、焚火を囲み、ロキシーやチャン(ネパールの焼酎とどぶろく)の酔いが回るにつれ、
焚火の火を静かに見ていたシェルパやポーターの若者たちが、歌を歌い、焚火の周りを踊りだす。
歌の意味は分からないが、哀愁を帯びた歌や楽しそうな歌である。
恋の歌だろうか。
漆黒の闇の中で、燃えている炎の力である。いい思い出である。
日本も薪ストーブ愛用者が増え、
薪ストーブ販売業に携わる業者たちが心地よい(?)キャッチコピーや、うんちくを並べているこの頃。
この地の人々は、この文言とはおおよそ無縁である。生きていくための暮らしの火である。
また時々ネパールのことを書きたいと思う。
風になびくタルチョ
標高4,600M地点にて
左手奥にのぞくのがエベレスト山(標高8,848M) 手前はヌプツェ峰(7,861M)
道普請する人々
ヒマラヤンブルーポピー
ゴト(ヤクと牛の間の子)たちも大変だ
あおっぱなの子供(奥)。現代の日本では見られなくなった。